【講演レビュー】Part1 : 医は仁術?それとも算術?

2017年09月04日

バイオガイア社は7月18日(日)東京ビッグサイトにて開催された「日本デンタルショー」において「妊婦歯周病医療で医院経営に革命を−−銀行が頭を下げて貸したくなるウソのようなホントの話」と題する講演を行いました。日本法人社長の野村慶太郎が語った本邦初公開の経営メソッド。約1時間の講演に立ち見客が続出した内容とは?講演を終えた野村社長に直撃インタビュー!

まちの歯科医院も「下町ロケット」も同じ

(編集部)「随分たくさんの方が聞いておられました。会場内を歩いていた方が立ち止まって聞いて、他の会場にいる仲間を携帯で呼び寄せたりもされていました。関心が高かったようですが。」

 

(野村)「賑やかな会場内での講演だったので周りに埋もれてしまうかと思いましたが、途中から飛び入り参加で聞いて頂いた方もおられたのでホッとしました(笑)」

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(編集部)今回の講演のテーマは歯科医院の経営についてということでしたが、バイオガイア社がいつも学会などで行っている学術的な講演とは少し趣向が違いますね?」

 

(野村)「そうですね。これまで当社はあまり歯科医院の経営にはタッチせずに学術的な講演ばかりでしたが、バクテリアセラピーを採用される歯科医院が増えるに伴って、院長先生からそれが経営にどう活かせるのかという質問が多く聞かれるようになってきたんです。実際に院長先生は単に医師であるだけでなく、経営者でもありますから経営的な観点からバクテリアセラピーを導入するメリットは何なのかに関心が出てくるのも自然な流れだと思います。」

 

(編集部)「これまでは意識的に経営には触れずに来た?」

 

(野村)「はい。バイオガイア社は多種多様な歯科医療技術の中のごく一部を担うだけですから、様々な患者さんのニーズや症例と戦う医療現場を熟知しているわけではありません。医院経営となると新規開設の医院から何代も続く街の歯医者さんの事業承継まで千差万別の経営モデルがありますから、一概に何が正しいとは言えないと思っていましたし。」

中小企業以上に厳しい歯科医院の経営環境

(編集部)「それが今回はじめて経営に踏み込むことになった理由は?」

 

(野村)「現場で色んな院長先生方に接していくうちに、院長の悩みも中小企業の社長の悩みも同じだな、と感じることが多くなってきたんです。大病院ではない、いわゆる”街の歯医者さん”でも、そこに従事するスタッフは受付から始まって歯科技工士さん、歯科助手さん、歯科衛生士さんなど数人〜数十人になります。その人件費を賄わなくては、そもそも医院は成り立ちません。家賃や地代の負担もあるし、高額の機械や設備の導入があれば大きな借金をしますし、買った設備の減価償却も出てくる。これはドラマ『下町ロケット』みたいな中小の町工場の経営と全く同じなわけです。

むしろ、一般の企業のように商工会議所の補助金や助成金が色々とある訳でもないので、一般企業よりも更に厳しい経営環境にあると言えるかも知れません。それなら同じ経営者として、共通の苦労やアイデアをシェアできるのではないかと考えました。」

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(©日本テレビ・下町ロケット)

 

(編集部)「院長の経営者としての悩みは深い?」

 

(野村)「これまでお会いした院長さん方に特徴的に多いのは”医は仁術なのか算術なのか?”という永遠のテーマに苦しむ姿でした。我々一般企業は”商売である以上は利益追求が目的である”と信じて疑わない訳ですし、それで十分だったりもするのですが医療経営はそればかりではダメだという道徳心との葛藤が常にあるという点です。この点は他の業種とは全く異なる点だと思います。」

 

道徳心と葛藤する院長たち

(編集部)「確かに一般企業の場合は法に違反していなけれは”儲かっている=良い会社”で済んでしまう傾向がありますね。医院経営はそうではないと?」

 

(野村)「違いますね。”医は仁術なり”という言葉は江戸時代の大医療人・貝原益軒の名著『養生訓』の中に出てくる言葉です。そこには”医療人は仁愛の精神を持って患者のために尽くさなくてはならない”とされています。この言葉がその後江戸時代の藩医などに伝えられ、維新後も明治、大正、昭和とずっと日本の医療界の不文律として受け継がれているのです。

それこそが日本の医療をここまで高次元なレベルまで高めた要因の1つだと思うのですが、実はこの言葉ほど多くの誤解を生んでいる言葉もないと思うんです。」

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(貝原益軒『養生訓』)

 

 

(編集部)「医は仁術ではないんですか?!」

 

(野村)「仁術ですよ(笑)そうじゃない金儲け本位の病院なんか行きたくないです。」

 

(編集部)「…?なんだかよく分からなくなってきました(笑)」

 

(野村)「それが今回の講演をしようと思い立った最大の動機なんです。”医は仁術”の解釈に少し誤解があるな、と。」

“医療は奉仕業”だとは「養生訓」は言っていない

(編集部)「というと?」

 

(野村)「養生訓には『医は仁術なり。仁愛の心を本とし、人を救うを以て志とすべし。わが身の利養を専ら志すべからず』と書いてあるのですが、これが拡大解釈されて”医療人は本来は患者に無条件に尽くす奉仕業でなくてはならない”になってしまったようなんです。貝原益軒はそんなことは一言も言っていない

 

(編集部)「そうなんですね」

 

(野村)「この文集の中の”専ら志すべからず”の『専ら』という単語がポイントです。この時代の文法では『専ら』は『そればかりを』という意味なのですが、それがいつの間に『断じて、絶対に』みたいな意味に解釈されてしまった。貝原益軒は『医療人は人を大切に想う気持ちを持ち、人を救うことを志としていだかなくてはならない。自分の利益や得だけを目指したんじゃダメですよ』と言っているワケで、別に医療人は宗教人みたいに奉仕の精神で尽くさなくてはならないとは一言も言ってないのです

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(貝原益軒)

身分制度があったからこそ「仁」の精神が求められた

(編集部)「それは初耳です。医療人は奉仕の精神だけなのかと思っていました」

 

(野村)「それは誤解ですね。当時の医療機関は民間経営ではなく藩が経営していました。今で言う国公立病院です。有名な医師は藩に所属する藩医なんです。今で言えば国公立病院の公務員医師に近い。だから財政基盤は盤石です。藩医はあまり運転資金や人件費みたいな経営の心配はまではしなくて良くて、医療に専念できていたんじゃないかと思います。もちろん多少はあったと思いますが、いまの民間病院とは根本的に立位置が違います。」

 

(編集部)「なるほど。でも、それでも医は仁術ですよ、とあえて貝原益軒が主張しなくてはならなかったのはなぜでしょう?」

 

(野村)「私が調べた範囲ですが、どうやら理由は身分制の有無ですね。士農工商ってやつです。ココが今とぜんぜん違う。身分や階級によって受けられる医療の質や、順番待ちなんかが全然違っていた。例えば農民や町人が急患でも、武士の患者が来ると大した病状でもないのに武士優先。更に当時は貧富の差が激しい時代です。貧しい農家の人や町民、遊女など社会的な地位の低い人は治療は後回しにされ、結局手遅れになってしまうケースが多発していたようです。

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医療は限られた特権階級の人たちのものだった

(編集部)「なるほど。だからこその”医は仁術”なんですね。」

 

(野村)「保険制度もないから医療は限られたお金持ちや身分の高い人だけのものだった。結局、藩医も藩に属する”サラリーマン”ですし、自分たちも特権階級に属しているので差別意識が当然のようにあったはずです。そんな現状に対する問題意識、危機意識から貝原益軒は医は仁術なんだ、と主張したのだと思います。今とは環境が全く異なるわけです。今よりもっと医が仁術ではなかった時代なんです。」

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(編集部)「なるほど。医療は社会的強者のためだけのものだったワケですね。だからこその警鐘だった…。」

 

(野村)「そうなんです。現代社会とは異なる背景から生まれてきた言葉だと私は思っています。」

仁術より算術?

(編集部)「それでは現代医療は医は仁術でなくてもいい?」

 

(野村)「いえ。仁の心は大切だと思います。それは現代も常に医療関係者の心の芯で無くてはならないと思います。しかし、身分制度が消え、医療が民間経営となり、国民皆保険と言われる時代になった現代の医師は、それ以外にも色々なスキルを身につけなくてはならなくなりました。そのひとつが『算術』です。」

 

(編集部)「それって、具体的にはどんなスキルなんですか?」

 

(…続く)